五十番食品の歴史1 ~創業時代~

五十番食品の歴史について書こうと、五十番食品の生き字引とも言える常務と工場長、そして私の母にインタビューをしました。

今まで知らなかった創業当時の会社のことをいろいろと知ることができ、また創業者の父のことについても知らなかった一面を知ることができました。

今回は「五十番食品の歴史」について、皆さんにもお伝えしたいと思います。

五十番食品の創業は、昭和46年です。

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私の父・王基樹が博多区雑餉隈に「中華食堂 五十番」という食堂を始めました。

(ちなみにお店の名前は、父が大好きだった野球の王貞治さんのご実家の「五十番」という中華食堂に由来していると聞いています。)

メンバーは父と母と従業員2名の計4名。

創業から2年後の昭和48年に1人増えて5人になりますが、その時入ったのが今の工場長です。

工場長は当時別の中華食堂で働いていましたが、父がその中華食堂に顔を出した時に真面目な働きぶりを大変気に入り、五十番にスカウトしたそうです。

それから工場長は五十番食品一筋!
今年で入社43年です。
本当にありがたいです。

もともと起業の願望があった父は、食堂を従業員の1人に譲り、昭和49年12月に春日市にて「有限会社 五十番食品」を設立します。

最初は餃子の具と皮を近所のラーメン店に卸す仕事から始めました。

そのうち餃子の機械製造も始め、ラーメン店だけでなく肉屋や大手スーパーにも卸し始めました。

餃子が順調に売り上げを伸ばす中、父はいろいろな事業にも手を出します。

最初に始めたのが、なんともつ鍋屋さん。

昭和52年頃、現在の博多区竹丘町で「味源」というもつ鍋屋さんを始めました。

この頃母は、昼間は子育て、夜はこのもつ鍋屋さんで働いていたそうです。

もつ鍋屋はそれなりに繁盛はしていたみたいですが、約1年で閉めることになります。

このもつ鍋屋を閉める昭和53年に入社したのが、現在の常務です。

入社してすぐ、閉店したもつ鍋屋の荷物運びの手伝いに行ったと言っていました。

ちなみに常務は五十番の求人を見て面接に来たそうですが、その時に父に言われた言葉が今でも忘れられないそうです。

それが・・・

「私の名前は王、血液型もO型、足もO脚やもんね」

・・・そんなオヤジギャクから始まった常務と五十番食品の縁ですが、常務も今年で入社38年目です
本当にありがたいです。

もつ鍋屋さんを閉めた父ですが、またすぐに新しい事業にチャレンジすることになります。

・・・続く。

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