油条の怖すぎる話

私のブログ「五十番食品★あととり娘の社長日記」で、いつも人気記事の上位にきている「油条の“怖すぎる”話!」。

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「油条」は小麦粉を練った生地を二つ重ねて揚げたパンですが、この「油条」にはとっても怖いいわれがあるんです

以下は私の伯父が書いたコラムです。

長文になりますが、とっても面白いので是非読んでみてください

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「油条と油炸桧について」   2012年4月  王基良

「数典不忘祖」とは私の持論である。浙江省同郷会もその趣旨で組織されたものだと考える。そこで今回は「油条」の話をしよう。

南京町で売っている「油条」を日本語では「揚げパン」と言っている。

あまりピンとこない。それでは少々しつこいが、普通の食パンを一切れ(一枚)食用油で揚げたものこそ「揚げパン」ではないかと聞きたがる、まあ、郷に入れば郷に従おう。

ここで華僑の中の浙江省寧波の方々にお聞きするが、「油条」はもともと寧波語ではどう言うのか。おそらく還暦を迎えられた方でもすぐにはお答えできないのでは。

昔から江蘇、浙江省両省の人間は朝食といえば「おかゆ」と「泡飯」(お湯ずけ?)である。その時のオカズといえば「油条」がポピュラーだった。

従前の人は「油条」とはいわず、「油炸桧」という。

それにまつわる故事がある。

およそ杭州へ観光に行くとガイドさんが決まって湖畔の岳飛(ガクヒ)墓地を案内してくれる。そこには宋の岳飛の伊帽塚としてのお墓がある。

その横に南宋の宰相秦桧(シンカイ)夫妻の跪いた鉄像がある。

岳飛は金国(いまの東北地方・満州)の南侵を阻止し、勇ましく抵抗した名将である。

彼は勝利を勝ち取り強敵金軍を国境外に追い返そうとしたその矢先に、軟弱無能な南宋高宗皇帝は金の脅威に屈し、宰相秦桧と結託して抗金の勇将岳飛にありもしない罪名をきせ、十二通の召還令で臨安(いまの杭州、当時は南宋の都)に呼び戻した。

謀反罪をでっちあげられた岳飛は風波亭という東屋で処刑された。

岳飛の背中には岳飛の母の手で「精忠報国」と四文字の入れ墨が刻まれてある。「忠君愛国」の志を謳っている。

一方、当時の邪悪な奸臣で宰相の座に居座っていた秦桧は人々に憎まれ、万民に罵倒される存在であった。

強烈な対照である。

当時臨安のある小さな茶屋の店主が人々の憤りを朝食のオカズに表現しようと思いついた。

彼はまず、小麦粉に水を混ぜてこねながら細長く伸ばし、短い棒状のものにし、二つ重ねて秦桧夫妻になぞらえ、それをくるくるまわしながら30センチ位の長さの螺旋状の「条子」をつくり、それを大鍋に沸騰する食用油の中に投じて揚げる。

その店主はそれを「油炸桧」と名をつけた。

つまり奸臣秦桧夫妻を油で揚げ、徹底的に打ちのめしてやるという意味合いが秘められている。

それから幾年経ち、秦桧夫妻の死後、岳飛墓地の横に跪いた秦桧夫妻の鉄像が鋳造され、永遠に奸臣として人々に罵倒されてきたのである。

以上が「油条」が「油炸桧」と呼ばれた経緯である。

その店主も臨安で商売繁盛し、江南の多くの町にも「油炸桧」の店が雨後の筍のようにでき、「油炸桧」は人々の朝食の不可欠の食品となった。

それ以後、五百年もの歳月が流れ去った。

秦桧夫妻の跪いた姿の鉄像も493年もの長き年月を経て今日に至った。

ところが最近になって歴史上定論済みの秦桧に対する名誉回復の動きがでてきた。

昨年の10月、上海の芸術家金鐸が証券ビルの展示会に秦桧夫妻の立像を展示に出し、大きな物議を醸した。

493年も跪いてきた秦桧夫妻が突然立ち上がったのである。

芸術家金鐸の言い分は「今は21世紀である、封建時代の非人道的な跪く姿を変え、人権、女権を重んじるべきであり、493年も跪いてきたのだから立たせて一息つかせてもよいのではないか」と。

金鐸と相呼応したが如く、今度は南京大学の歴史専門家高栄践教授も今までの忠臣岳飛、奸臣秦桧というほぼ五百年もの昔の歴史的定論と構図を真っ向から否定し、秦桧の汚名を返上し、その名誉回復を図ろうとも受け止められる言動にでた。

高栄践教授曰く、「岳飛は忠臣、秦桧は奸臣という古来の定論は疑わしい。いまでも宋史の専門家たちが論争を続けており、忠臣・奸臣と決めつけられる証左がないし、したがって人々を承服させる結論にはいたっていないのだ」と。

このように一味違った、型破りの秦桧立像展の初日には千人もの観客が殺到した。

秦桧の後世の孫にあたる秦世紀(80歳)もその一人であったが、口を閉ざしたまま、一言も感想を述べなかった。

一方、岳飛の30代目の孫にあたる岳順元(南京在住、60歳)は、この情報に接し、マスコミに対して次のように述べた。

「ご馳走するから、秦氏と一度お逢いして酒を飲みながらお互いの祖先のことを討議しようではないか」と。

はたして、酒杯を交わしたかどうかは定かではない。

ともあれ、このような動きは瞬く間にネットワークを介して全国に伝わった。

あの芸術家金鐸はネットワークで罵倒され袋叩きのうき目にあい、展示初日をもって、その立像を自ら撤去したというのである。

私がここで思うのは、「善人も悪人も死ねばみんな仏だ」とよく言われるが、中国にも「放下屠刀立地成佛」(殺人の刀をおろせば立所に成仏」とあるが、現実はそう甘くはない。 

国柄がちがい、文化や風習 の異なるのも誤解や葛藤を生じがちであると言うことである。

※注記:「数典不忘祖」; 歴史を語る時は祖先を忘れてはいけない。ルーツをけっして忘れるなと言う古い熟語。

※参考までに:
 北京語(普通話)は、「油条」・・・音読では「ヨウ テイアウ」

 浙江省寧波(市)語(方言)は、「油炸桧」・・・音読で「ユーザクエイ」

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以上です。

最後までお読みいただきありがとうございます

岳飛と秦桧の故事、怖すぎて本当に面白いです。

皆さんも油条を食べる時には、是非この怖~い物語を思い出してみてくださいネ

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